九代目の憂鬱の最近のブログ記事

 本日より九代目の嫁が正式入社です。森川家の一員なのでいきなり役員での

入社となります。24歳の女の子がいきなり経営者だなんて、色々と戸惑いや

迷いもあり厳しいかと思います。

 

 しかしながら九代目"嫁"日記をご覧下さったらわかるように、のほほんとして

いる性格なので、特に心配することもなく乗り越えてくれるでしょう。

 

 今日は九代目にとって忘れられない日になると思います。小さいころから見て

来た(株)モリカワで、結婚しその娘と働くんだからね。嫁本人よりも九代目の

方が戸惑いがあるかも知れません(笑)

 

 

 

 

 ■昭和30年代撮影、(株)モリカワ創業者七代目森川良雄氏(じいちゃん)

九代目嫁が入社し天国でじいちゃんも喜んでいると思います。

画像をクリックすると拡大するよ。ぜひご覧下さい。

 

 

 

 まだ嫁とは一緒に働いたことはありませんが、休暇村南紀勝浦さんでの仕事

ぶりを見てた感じから、非常にがんばれる娘だと思っています。

 

 経理全般も仕切っていたらしいので、(株)モリカワにとってはすばらしい戦力

が加わったのではないでしょうか?楽しみです。

 

 相乗効果で九代目もレベルUP出来そうです。九代目の仕事ぶりを見られる訳

だからね。緊張感を持った日々の業務になりそうです。すごく嬉しく思うし望む

ところだけど!

 株式会社モリカワの最大仕入れ先は、一部上場企業シナネン株式会社と

いう会社です。シナネンの当社営業担当は、このブログにも何度か登場

したタロー営業です。そのタロー営業が東京の本社に転勤になり、当社

担当を外れることになりました。

 

 

 タロー営業との出会いは、ちょうど7年前になります。私はまだ

23歳、タロー営業は26歳でした。二人ともまだ20代で若々しく

お互いに初々しさがありました。タロー営業の最初の印象は、

関東の言葉が入った、絵に書いたようなサラリーマン。実際は恰好

だけで中身は学生だった(本人談)のようですが、私の人生でおよそ

かかわり合うことがないと思っていた人種でした。それに私はまだ

正社員で働いたことがなく、サラリーマンとは別世界の人間のよう

に思えていました。

 

 

 23歳当時の私は何の夢もなく、大阪で色々な仕事を転々と繰り返し

遊んでいました。今思うと貴重な経験ですが、当時は"何をやってい

るんだろう"とはてな?マークが常にありました。 そんな時に母親

から提案があったのです。「今ならシナネンさんで働かせてもらえるよ。

働かせてもらえば?」やりたいことも他に思い浮かばないし、シナネン

の名古屋で、正社員にさせてもらったのです。ホント軽い気持ちでした。


 そんな頃出会ったのがタロー営業です。私はシナネンの名古屋、タロー

営業はシナネンの大阪と勤務場所は別でした。しかし実家の営業担当という

ことも手伝って、接する機会も多々あり、知らぬ間に一番の飲み友達になって

いたのです。

 

 

 名古屋ではよく飲みました。夜の7時から朝5時まで飲んだことも

あります。この7年間東京・大阪・名古屋、その他諸々各地、二人で

飲みまくりました(笑)

 

 

 飲む時の話の内容は、ほぼ仕事の話。このブログには書き切れないほど、

語り合いました。私がシナネンの社員だった頃は、タロー営業は先輩に

当たります。仕事、とりわけ私の将来の相談をさせてもらった記憶が

あります。このまま家業を継いでイイのか、自営業よりサラリーマンの

方がイイのではないか等々、それこそ朝まで・・・彼の株式会社モリカワ

に対する夢も聞きました。まったく家業に対して、興味がなかった私に諭す

ように語ってきました。お得意先の息子に語るのではなく、一後輩として

語る屈託ない意見です。もちろん息子として譲れない反論もあり、熱く

語り合いました。でもそうやって語り合っているうちに、私も家業に興味

が出てきたのかも知れません。彼が私に家業を継がせたと言っても、過言で

はないでしょう。

 

 

 八代目に家業を継いでくれ、帰って来てくれと言われた時にも相談しました。

私の立場にたって、真剣に考えてくれました。内容は忘れましたが(笑)その

時にもらったメールで後押しされ、最後の決断したのを覚えています。

 

 

実家に帰るか!

 

 

 私には大袈裟ではなく、人生がかかった一生に一回あるかないかという決断。

後ろ髪引かれることなく、晴れて家業を継ぐに至りました。

 帰って来てからの私には、彼はベストパートナーでした。後輩として4年半

聞いてきた、彼の夢と私の夢を融合させて、株式会社モリカワの改革に取り

組みました。少しずつ少しずつ、一つ一つ、丁寧且つ大胆に・・・家業の

営業担当として、彼と接したのは2年半ですが、振り返るとまだ2年半しか

たってなかったの?という感じです。内容の充実した濃い期間でした。まだ

彼には心残りはあるでしょうが、名古屋で4年半語り合った、株式会社モリカワ

の夢は、実現に向けて、スタートを切れている所まできてるので、営業担当

として、一つの達成感みたいなのはあるかと思います。

 

 

 私が思う彼の一番すごい所は話術です。彼の話術は一目置く所があって

今でも尊敬しております。活字にして説明するのは難しいですが、一言で

いえば"会話の呼吸"です。彼はこれが非常に卓越しているのです。

人との会話の中で、自分が言葉を発するタイミング、相手に話させる

タイミング、状況によって様々ですが、ビジネスとなると必要不可欠です。

二人で幾度となく、難易度の高いビジネス交渉に行きましたが、絶妙のタイ

ミングで、言葉を発する姿は勉強になりました。一長一短で身に付くもの

ではありません。私も少しづつ盗ませてもらい、大分出来るようになってき

たかとは思いますが、まだまだこれからです。もっともっと頭の回転速度を

上げていかないと厳しいと思っています。

 

 

 最後に私が彼に伝えたいことは、過去は思い出と反省しか生まれないが、未来は

無限に広がっているということ。株式会社モリカワにかかわった7年間の思い出

と反省は胸にしまい、無限の未来がある東京で、新たな展開を見せてくれ。

 

 

「君が名古屋で語っていた大きな夢は
実現に向けてスタートを切っている」

 

 

THANKS

約1年ぶりに九代目の憂鬱更新します。右のカテゴリーの九代目の憂鬱を

クリックして頂くと、第一回から読めますのでよろしくお願いします。




高校1年生の時に、モリカワは人員が足りるようになったので、

私の家業手伝いは、一先ずクビになりました。




しかし、それ以降も、父からの急な呼び出しは相変わらずありました。

人が足りなくなると、魔の一言...


「すまんけど、手伝いに来てくれんか」


今までも書いたように、前もって手伝いの日を言っててくれたら

いやではないのです。予定があるのに無理やりに連行されるのが

我慢の限界に達してました。




未だにトラウマになって、父からの電話は、

何を言われるんやろ!?といった恐怖があります。




恐らく当時、自分自身そういうこともふまえて、絶対に家業を

継ぎたくないと思っていたのではないかと思います。




高校を卒業すると、私は大阪に出ました。いわゆるフリーターです。

頑張って4ヶ月連続休み無しで働いたと思えば、お金の続く限り休んで

好きなことしたり、自由気ままでした。


次回につづく

私と彼が最初に出会ったのは、

私が高一の頃、彼が当社に

入社した時でした。

彼の最初の印象は坊主頭

次の印象は、社長に怒られ続けてる姿です。




怒られ方もハンパではなかった…


(社長もその分、期待してたんだと思います)




しかし彼は気軽にいつも笑顔で、社長の息子である

高校生の私に話しかけてくれました。




よく覚えているのは、家業手伝いをさせられている

私の仕事を代わってくれた事です。




彼の仕事・とりわけ営業の熱心さは


高校生の私にもわかりました。




心の中で一緒に仕事してみたい人だなと思った

のはこの頃かもしれません。




でも私は会社を継ぐ気は、まったくなかったので

深く考えてはいませんでした。

一緒に働いている




“現在”




彼の営業の熱心さは、少しも変わっていません。




そう彼とは当社、営業責任者の




掛橋寿徳です。



私と彼の、今の関係は…


営業所の所長である為、私の上司であり、
(私の所属は一応、平の営業)

私の立場上、取締役の為、

私が雇用している従業員ともなります。




何とも微妙で奇妙な関係ですが




2人で力を併せて、営業展開していくには、

これが最善だと思ったからです。




毎日のように営業戦略を語り合っていますが、

まだまだ形になっているのは、極々わずかです。




私が営業戦略の基本の柱を考え


掛橋所長が土台を築いていく

という形が出来つつあります。
(逆の時も、もちろんあります)




意見が衝突することもありますが、それすらも

楽しんで営業展開出来れば最高かなと思います。




こんな2人で主に営業戦略・展開考えておりますが、

お客様には、末永く見守って頂きたいと思います。

中学校に入ると私の家業手伝い、


本格的参入が始まりました。




当時の世間はバブル絶頂期で、

我が社も少し景気が良かったみたいです。

と同時に完全な人手不足でした。

思い返すと良く手伝いました。



土曜の昼から・春休み・夏休み・冬休み…



最初から手伝う日を言っててくれたら、

それほど嫌ではなかったです。


嫌になったのは、いつも急な手伝いをさせられたことです。

友達と遊ぶ予定がある…

部活終わりで疲れて昼寝してる…

問答無用に手伝いが優先でした。

それに父親には良くウソをつかれました…



父…『一時間だけでええから手伝ってくれ』


終わったことありません…



父…『午後二時には、お父さん帰ってくるから、それまで手伝ってくれ』


父が帰ってきたのは夜中の二時でした…酔っ払って…



父…『高校に入ったら、給料やるから3年間バイトしてくれよ』


高校一年生の時、新しい従業員さんが

(現 掛橋所長)入社したので私はクビ。



父…『おい!人足りるようになったから、お前もう来んでええわ』


とあっさり…



今冷静に考えると、家業を手伝うのは息子として当然です。

しかし楽しい思い出ではないですね。

小学校に入ると自分が自営業(燃料屋)の

息子であるいうのは自覚してたと思います。

自宅は会社ではなくなり他に住むようになりました。




この子が『将来の社長ですよ!』

みたいな感じで、よく紹介されてました。

でも本人は、はぁ~と!?いう感じです。




燃料屋という職業は自分でも、


あまり良く思ってなかったです。


どちらかというと嫌でした…




少年野球をやっていたので、

高学年になると特にそちらの方が

忙しく家業のことなど考えてなかったな。

小さい頃会社に住んでた訳だから、

当然、父親の働く姿を見てました。



子供には働く父の姿はカッコよく見える!


と世間一般では言います。



しかし私は(父には失礼だけど…)

一度も!そんな風に思ったことはなく



仕事中の父は怖いイメージしかありません…


いつもピリピリしてました。



時代背景もそうだし、

高度経済成長、

オイルショック等もあり

昔は仕方ないとは思うけど…



私はと言うと、家業手伝いはこの頃からしてました。

子供なので、手伝いか…邪魔してるのか分からないけどね。


私は小さい頃、6歳まで会社(写真右の建物)に

住んでおりました。



当然ながら遊び場も会社ということになります。

従業員の方には、よく遊んでもらった記憶があります。



燃料商売というのは基本的に年中無休なので、


いつも騒がしい中で育ったという感じです。


今思い返すと小さい頃なので、いずれこの会社を

継がなければ…とか思ってなかったと思います。

家業をしている家に生まれた

長男のほとんどは

『継ぎたくない』と

一度は思うのではないでしょうか!?

私の場合はもっと極端で、

継ぐ訳はないとまで思ってました。



未だに自分自身ハッキリ言って

なぜ継ぐ訳はないと思っていたのか

なぜ家業を継いだのか…

またなぜ継ぐ気になったのか…

わかってないんです。



せっかくの機会(日記)なので、

自分でもなぜ今に至るのか


昔を思い出しながら解明


していきたいと思います。

私が有限会社モリカワに

帰ってきてから

ちょうど一年が経ちました!


それを記念致しまして、今回からシリーズで

家業を継ぐまでに(正確にはまだやけど…)

至った経緯を九代目の憂鬱として

連載で紹介していきます~

私は小さい頃から家業を継ぐ気はまったくありませんでした!

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